
福岡のステキに先生と一緒に子宝相談に取り組んでいます




先日、大河ドラマの「軍師官兵衛」がとうとう終了してしまいました。
残念ながら…期待していたほど福岡については出てきませんでしたが、官兵衛といえば…今の「福岡」の街の原型を作った人ですよね。

安土桃山時代、島津氏によって焼野原になった博多の商人たちが、当時日本のトップだった豊臣秀吉に「博多の町の復興を…」とお願いしました。
そこで秀吉の傘下にいた官兵衛が石田光成や家臣たちと共にその役割を担い、博多の町割りなどもしました。
博多の町割りを行う上で、官兵衛は、自分の先祖がいた備前長船(現在の岡山県瀬戸内市)の町筋をモデルにしたそうです。

この町割りは今でも殆ど変らないようです。
大博通りがちょっと長くなったこと、明治通り、昭和通り、国体通りができたこと…これが違うだけのようですよ。
その後…1600年に関ヶ原の戦いの功績により、官兵衛・長政父子は豊前国中津16万石から、一躍、筑前一国52万3千石を得て、いったん小早川隆景が築城した名島城(現・福岡市東区)に入城しました。
便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵(現在の舞鶴公園・福岡城跡)を新城候補地に選定しまし た。1601年には築城が開始され、7年後の1607年の竣工です。

この城が、官兵衛の集大成の名城…福岡城です。
築城の際に、福崎を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めています。これが…福岡の始まりですね!(^^)!
福岡城は、内城と外城とに別れ、内城だけでも8万坪の面積があり、城の規模としても九州一の巨城です。

官兵衛は、福岡城内三の丸に「御鷹屋敷」が完成すると、妻の光(てる)とともに茶や歌を嗜みながら静かに余生を送りました。
そして、59歳の時、1604年京都の伏見にある黒田藩邸で波乱に満ちた生涯を閉じます。
長政は、黒田家の菩提寺・崇福寺(現・福岡市博多区)に官兵衛の墓所を築き、現在では歴代藩主とともに祀られています。

黒田氏は、2代忠之のときに黒田騒動が起きますが、無事本領を安堵され、官兵衛の願いどおり…以後12代長知のとき明治を迎えるまで、福岡の地を動くことはなかったのです。
官兵衛は、現在もずっと…福岡の街を見守り続けていてくれるようですね~(^o^)

「軍師官兵衛」が整えた街「福岡」は、今も発展し続けています…。

全国的に…お正月は冷え込む様です。体温UP対策をして風邪などひかれません様にお気をつけくださいね。
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